西原理恵子の描く女の人の絵に「肉感」を感じた?(「パーマネント野ばら」)
図書館でもうひとつ、こちらはマンガで書籍情報雑誌の「ダヴィンチ」に紹介されていた「パーマネント野ばら」があったので借りて読みました。
- 作者: 西原理恵子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/09/28
- メディア: 単行本
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西原理恵子マンガで自分が読んだ事があるのは「まあじゃんほうろうき」とか「できるかな」とかの体験記系作品がほとんどで、物語作品は「ぼくんち」や「いけちゃんとぼく」「ちくろ幼稚園」といった「純真な子供の体験を素朴に描く」感じの作品を数巻読んだことがあるくらいです。
しかしこの「パーマネント野ばら」は今まで読んだそれらの作品とは違って、主人公は恋に生き恋に悩む大人の女性。
そもそも連載自体は「新潮45」という中高年向けの雑誌ですし、宣伝文句にも『大人の女の恋心を描く』と書かれているように、この作品のメインターゲットはたぶん「スイもアマイも噛みわけた大人」(特に女性)でしょう。
フィクションではラブコメやらハーレム系やら渋みの「シ」の字もない――ていうかそもそも恋愛というジャンルでくくれるのかよ!?な――作品をチマチマ読む程度で、リアルでもロクに女性との接点すらないような自分には、まだまだこの作品を真に理解できる素養はやはりまだまだ足りません。
もちろん全くわからない・何の感情も湧かなかったわけでもないですが、少しでも恋を知っている人・いろんな恋を知っている人がこの本を読んで感じるであろう様々な感情*1に比べれば、自分はまぁなんてケツの青い坊ちゃんなんだなと。
ということで、この作品全体を通した私の感想はその深いテーマに比べるとロクなものになりそうにありません。
そこで、この作品で純粋に・直感的に感じたことをひとつ。
それは、西原理恵子の描く女の人の「絵」にすげぇ魅かれるなぁ…ということ。
注意しておきたいんですが、ここで私がいう「魅かれる」とは女性キャラクターの生き方や人となりが好きという意味ではなく、純粋に絵柄的に好きだというコトです。
さらに一応いっておくと、絵柄的に好きなのはあくまで「マトモに」描かれた女性キャラクターのことですよ!w
↓の画像でいうと、決して「みっちゃん」(金髪の女性)のようにドギツくデフォルメして描かれたキャラクターには、いくらなんでも「絵柄に魅かれる!」という表現は…また違うものッス。*2
そもそも初めて「あー、この人の描く女の人ってなんかイイなー」って思ったのは、この作品より前に読んだ「ぼくんち」に登場する、お姉ちゃん。
ただこのキャラクターの場合は、ツラいことがあっても「泣くなら笑えー!」と言ってニッコリと笑う彼女の人となりも含めて、その笑顔に魅かれた感じです。
対して、今回の「パーマネント野ばら」では、主人公なおこの絵・描線それだけで「グッ」とくるものを感じました。
特に「イイ…」と思うのが、↓の画像のような後姿というか、顔の輪郭…?
- カラーでシンプルに、しかしほどよく白く塗られた肌。
- 上から下へスッとひかれる横顔の曲線。
- 束ねた髪からのぞく首。
といったあたりが、なんかすっげー自分のなかで「グッ」と魅かれるものがあるんですよねー。
この魅力はなんなのかと考えたら、それはもしかしたら自分が幼い頃見た自分の母の後ろ姿・顔の輪郭なのかなぁ。
果たしてそうか自分自身よくわからないんですが、とにかくこの肌のカラー・この横顔の描線には、シンプルでありながらとてもない「生っぽさ」とか「肉感」を感じるのです。
ていうか今回の記事を書く前から時々思っていたのですが、もしかしたら私って「うなじ」とか「首」のフェチなんかも知れませんな…!
ってことは、さっきまでの「魅かれる」ことも単にそれだけの理由!?
「母の後ろ姿(キリッ)」とか言っといてそんななんかキレイな理由なんて関係ナシ!?
…でもねー、例えばねー、「さよなら絶望先生」第一話での新井智恵先生の初登場シーンの絵がたまんなく好きなんですよオレ。
なんかとてつもない、官能!エロス!を感じるんです。
久米田絵そのものの肉体ライン*3が一般的なマンガ作品に比べて独特というのもあるのでしょうが…うーん、艶(あで)があるっていうか。
そのうち「オレは久米田絵のここが好き!」っていうの、まとめてみようかしら。