「動物化するポストモダン」で「萌え」の理由を確認

 自分はよくオタク系文化や作品についての評論本や解説本といった書籍を図書館で借りては読んでいるんですが、そういった本の論述の中でたびたびその内容や書名が引用されるこの本。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)


 かなりの頻度で目にする引用や「参考資料」の明記からタイトルは覚えていたのですが、これまで正直動物化」「ポストモダンという単語から「なんかムズカシそうだな〜…」と敬遠してて、今やっと手を出したな次第。



 自分は萌えオタであり、様々な作品を楽しんでいる日々の中で、「大好きな『萌え』だけど、実は次から次へと貪ってる感じだよなー」みたいな漠然とした自己嫌悪?的*1感情をふと抱くのです。
 
 上の感情に対して、なぜそう感じるのか・実際にはどうなのか・どうしてそういう構造になるのか…といった具体的な解説が成されて、その感情への回答に近づける内容だった…というのが読み終えた感想でしょうかね〜。


 特に、作品云々よりキャラが評価・判断され、さらには「属性=キャラ=作品」となってしまう昨今の「萌え作品」。

 こういった形式の作品が生み出され、消費されていく背景について理解が進む「データベース型世界」「超平面性」といった定義が面白かったです。



 タイトルの動物化するポストモダンの時代に生きるもの、ましてやその大きな一例として扱われるオタクである自分にとって、オタク文化についてだけでなく今の時代そのものについて考えさせられる一冊でした。

*1:結局作品云々より萌えキャラを見てるだけやん!そしてそれを次から次へととっかえて消費していってるだけやん!「オレの嫁」なんて言ってもそんなモンやん!みたいな