舞台版「千年女優」の再現度と貫かれた「女優」のテーマ(T)

 大阪市のHEPHALLという小劇場で劇団「TAKE IT EASY!」による「千年女優」の舞台を観てきました!

 TAKE IT EASY!× 末満健一「千年女優」

 

 原作の劇場アニメ千年女優は少し前に見ていて、それで初めてアニメで泣いたくらい好きなんですよワタシ。「千年女優」が。

 で、年初めにフラっと今敏監督の公式HPを覗いて舞台化の話を初めて知って

「HEP!近いじゃん!舞台って見たことないし、千年女優をどうやって舞台化すんのかめっちゃ疑問だけど、せっかくだから思い切って行ってみよう!」

 って感じで観に行って、今に至るという感じです。


 もう、ね。終わった後心から拍手しました。
 
 それくらい「千年女優」を見た者として、よくぞここまで「千年女優」を再現してのけたなぁ!という驚きと感動。

 「『千年女優*1はアニメでしか出来ない物語」というのが、BSアニメ夜話やファンコミュニティなどのあらゆる「千年女優」批評において言われる一般的な考え方だと思いますし、自分もそう思ってました。

 それぞれのシーンひとつひとつを再現しようにも、時代や作中劇ごとに場所や衣装もコロコロ変わっていく*2のが魅力のこのアニメを再現するには膨大な時間と予算が必要となります。

 でも、舞台版「千年女優」は脚本の末満健一という方は見事に原作の「千年女優」を再現…
 劇団のみなさんの言い方を挙げれば「立体化」してくれました。


 で、どうやって「千年女優」を「立体化」したのかなんですが、一応ネタバレになりそうなので折りたたんでおきました。

 いや、だって本当に驚いたんだもんこのやり方。
 演劇の「え」の字も知らないようなヤカラなのでトンチンカンな書き方もあると思いますが、熱冷めやらぬうちに書き散らしておこうと思います。





●驚きの演出法


 1.最大一人40役以上!?「入れ子キャスティング」


 まず「千年女優」の舞台化と聞いて

 「もしやったとしたら立花や井田くんは基本的にいなくて、千代子とその周辺人物だけを演じるんだろう」

 というあなどり交じりの思い込みでした。
 だって出演者は5人だけですもん!ただでさえ主要キャラは結構いるのに!


 で、舞台版で行われたのが「入れ子キャスティング」という手法。

 なんと出演者5人全員が全ての主要人物を中心に、シーンごとの役にも自在に成り代わっていくという驚きの方法です。

 人によっては40役以上の様々な役になりきっている事もあって、原作で登場したキャラクターのほとんどがキッチリ登場していると思われます。
 「主要キャラのいくつかは削られるんじゃね〜?」どころか、原作に出てきて舞台には出てこなかったキャラクターを探す方が大変なんじゃ…って思うくらいです。


 シーンごとに全員が様々な役に成り代わる。これって最初は
 「観てる方は誰がどの役かこんがらがって訳が分かんなくなるんじゃないの?」
 って思いました。

 でも舞台が始まってからこの手法に慣れるまでは、役者が今代わった役が誰かということを、異色なこのやり方の自虐ギャグ的な振る舞いも交えてテンポよく説明してくれます。


 この「入れ子キャスティング」、まさに原作にあるインタビュー時の現実と千代子の記憶の入れ子的な錯綜感を、舞台というフォーマットで再現したものであるように思います。

 原作の時代と作品の行ったり来たりから来る「観てる側がついていけなくなる危険」を、カメラマンの井田くんが絶妙なツッコミで自然に解説してくれます。

 その役割を舞台版の「入れ子キャスティング」では、それぞれの人が演じる井田くんやその他様々な役や「素」となった女優さんが行うテンポよい説明が担っているのでしょう。


 また、この手法によって原作にもあった「主人公は女優」というテーマを舞台版でも貫き通すことが出来ていると思うのです。

 原作ではラストシーンに千代子が言う「あの人を追いかけている私が好きなんだもの」という意味深なセリフから

 『鍵の君なんていなくて、千代子が自分の女優人生をうまく絡めて語ったホラ話なんじゃないか』
 『だってこれは「千年女優」だ。もしやこの映画自体が作中劇を見せてるだけなんじゃないか』

 といった「主人公は女優」のテーマからの色々疑心暗鬼が浮かんだものです。

 そんな「主人公は女優」であることを、「出演者全員が千代子にも他の役にもなれる」という形で舞台で表しているんだと思います。



 2.五つの椅子だけで全てのシーンを再現する


 もうひとつ驚いたのが、この舞台で使われる小道具が「椅子5つ」だけであったこと。*3

 セットもなにも使わず、崩れ落ちた倉庫や鉄道の車内、はてはロケットのコクピットまで5つの椅子をそれぞれ女優さんたちが椅子を上手く使って、それぞれのシーンの状況を描き出します。

 またこの椅子を用いず女優さんたちがそのまま、林の木々や重い扉といった様々なオブジェクトになりきったりもします。


 原作では列車・人力車・大型トラック・ロケットなど、乗り物だけでも出てくるものは多種多様。
 そういったモノやセットなどを映画どおり幾度もひとつひとつ暗転して用意して…なんてテンポが悪くって出来ないでしょう。
 しかしシーンの状況は全て女優さんが再現するので、それを構成するスピードは格段に早く、このテンポの良い場面転換は普通の演劇ではできないものではないでしょうか。


 特に終盤「鍵の君は北の故郷にいる」と傷の男から聞いて、千代子が今までの記憶を次々にフラッシュバックさせながら一心不乱に走るシーン。
 これももちろん舞台では、上のような場面転換方法を使った凄まじい速度の場面転換の数々には圧巻の一言。
 
 中心の千代子役の女優さんは走る動きをしつつ場面が変わると瞬時にその時の千代子のポーズをとりますし、その場面を瞬時に作り出す他の女優さんたちの一糸乱れぬ的確な動き。

 このシーンは、ラストへ向けて今まで見せてきた「狂気にも似た恋」と、それと同時に「呪い」からは逃れられない千代子の悲愴を観ている側に一気にぶつけて、感情が吹き出させてくる重要なシーンだと思います。

 このシーンすら舞台の上でこれだけ見事に再現してみせるなんて…
 もう「スゴイ」としか言いようが思い浮かびませんw


 ※ちなみに私は原作でここが一番好きです。
 平沢進さんの嵐のようなBGMに、次々と今まで走ってきたシーンと今も走っているというビジュアルがあいまって
「こんなに鍵の君を思っているのになぜ会えないんだよ!」
 という感情が吹き出てもう涙だだもれ。このシーンでアニメで初めて泣きました。



 3.正体不明な「鍵の君」の表現

 最後に、「鍵の君」の舞台上での表現も素晴らしいと感じました。

 千代子が女優となり、その波乱の人生の原因である重要な人物の「鍵の君」ですが、原作は彼の顔や詳しい素性は一切明かされず、それこそ

『実は存在しないのではないか?』
『千代子の女優としての象徴とか、そういったものなのか?』

 とも疑ってしまうほどあやふやな存在です。


 そんな彼を舞台では、千代子役以外の4人の女優さんが一斉に声を出し、ライトの逆光をうまく利用して女優さん顔がよく見えないように演出されます。

 複数の・顔が見えない状態の女優さんが同時に演じる事で、原作の鍵の君の「あやふや感」と「重要性」を同時に描き出すのです。




 つらつらと見所みたいなのを書きましたが、書きながら劇の内容を思い出してもやっぱりスゲーなぁと感じます。

 本当に、「千年女優」の原作が本当に大好きな自分にとってこの舞台化は大成功・大正解という気持ちです。

 劇にかかわる全ての皆さんの、ただ原作の表面をなぞるだけでは出来ない…「千年女優」で描かれるテーマや感情まで「立体化したい!」という思いがヒシヒシと伝わってきます。


 とにかく「千年女優」を一度見た人は絶対に観に行ったら「よかった」と思える、そんな舞台でした。

*1:というよりほとんどのイマビン作品

*2:今監督自身も「イメクラアニメ」と皮肉っていますし

*3:椅子5つ、といっても原作ではなにかしがの記号付けが成されていたとか、そういうワケでもなかったと思います。