『こんにちはアン』の人間ドラマに感動&続けて『赤毛のアン』を放送するサンテレビに感動

 

  
 あぁっ、サンテレビってなんて素晴らしい放送局なのかしら!
 その名の通り、まるで太陽のように私たちアニメ好きの視聴者の心をいつまでも暖かく照らし続けてくれているのね!
 
 だって『こんにちはアン』を月曜日から木曜日まで、ほぼ平日毎日で放送してくれたのよ。
 それだけでも私は、まるで誕生日を待ちわびる子供たちのように毎日がワクワクする気持ちで満たされたわ。
 
 けどそのうえ、『こんにちはアン』の放送が終わったあと、原作で物語としては地続きになっている79年の『赤毛のアン』を、そのままの時間帯で再放送してくれるというのよ!
 なんて素晴らしい贈り物なんでしょうっ。
 
 だって私ね、この『こんにちはアン』で初めてアン・シャーリーの世界に触れてその魅力を知っていくうち、
 
「あぁ。アンの物語がこんなに素晴らしいものなら、原作のアニメの『赤毛のアン』も同じくらいにさぞ素晴らしいアニメなんでしょうね」
「もし『こんにちはアン』が終わったあとは、きっと『赤毛のアン』も観てみるわ」

 
 って、そう思っていたんですもの!
 
 きっとケイティ・モーリスやヴィオレッタだって、この『こんにちはアン』を観たら『赤毛のアン』もすぐ観てみたくなると思うわ…いいえ、そう思ってきっと当然なのね。
 
 それで、サンテレビはそれを解っていて、『こんにちはアン』と全く同じ放送スケジュールで『赤毛のアン』の再放送をしてくれたのよ!
 そう、アニメが好きな私は、このサンテレビにもらった大きな幸せを、きっと腰が曲がったお年寄りになるまで忘れないわ!
 



 
 …ハッ!?
 あぁ…嬉しさのあまり、ついアンの口調で喋り続けてしまいました。
 
 というのも、サンテレビでは1月から放送されていたアニメ『こんにちはアン』を全話見通しました…いやー面白かった。
 

 
 『こんにちはアン』は世界名作劇場シリーズにあたるアニメで、同じく世界名作劇場の過去作品『赤毛のアン』の主人公アン・シャーリーが冒頭でプリンス・エドワード島にやってくるまでの前日談。
 といっても、私自身は『アン』は本もアニメも見たことがなかったので、これで初めてアンの世界に入ったクチです。 
 
 
 こんにちはアン』でのゴールとも言えたプリンス・エドワード島へ渡るシーンで最終話が終わり、そして引き継がれるように『赤毛のアン』第1話の冒頭はプリンス・エドワード島へアンがやってくるシーンに、たった1日を経てそのまま同じ放送時間帯で続くワケですからね〜。
 
 この前日談と原作が、ズレのない放送日でもってキレイにリンクするこの「臨場感」はモノ凄い!
 いやぁ…サンテレビも粋なことをしてくれます。
 それくらい『こんにちはアン』→『赤毛のアン』の再放送…の流れには打ち震えました。
 
 というわけで、これから進んで行く『赤毛のアン』に期待を込めて、この『こんにちはアン』の感想などをば。
 
 

●久々に観た名作劇場
 
 思えば「世界名作劇場」のアニメを全話通して観たのは、これまた再放送で観た『アルプスの少女ハイジ』が最後でした。
 
 正直言うと『こんにちはアン』を観始めてみたのは、
 

 
 子猫を抱いて振り返るその小さい姿が、なんとも愛らしい…!
 と、なんて素晴らしいキャラデザだろうと思ったのがきっかけです。
 萌えって感情とはまた違うと思うんですが、どっちにしてもアンというキャラ目当てで見始めたというのが正直なところ。
 
 それに↑の宣伝絵とかOPを見た時点では、きっと『ハイジ』のように「自然と密接した暮らしを送る少女」的なストーリーで、ゆったりアンの可愛らしさを眺められるアニメなんだろうな〜…なんて思ってたわけです。
 
 ところがどっこい。
 本編が始まると、なんとつらい境遇にある少女の物語なのかと…!
 孤児というを生まれを背負い、「もらわれっ子」ということから膨大な家事労働をこなすことを余儀無くされて…
 
 『こんにちはアン』には、例えるなら『おしん』のような「苦労もの」の要素も多く含まれていると思うのですが、自分は今までこういった物語のアニメを見通したことがあまりありませんでした。
 だからこの
「アニメキャラクターが現実的な苦労を乗り越えて報われる」
 というカタルシスは、なんというか逆に新鮮。
 
 もちろんほかの様々なアニメでもキャラクターたちは、事件を解決したり魔物を倒したりの「苦労」はしています。
 が、アンが行う家事労働はつまり「日々を生きていくのための苦労」。
 小規模ながら身近にある多くの苦労の日々…そしてそれが続くとも、自分の感性を信じ、素直に人と接して生きていくこと。
 こういった教訓やテーマを、アニメという語りを通して肌で感じられる作品で…ああこれはまさしく「世界名作劇場」ならではだなと思いました。
 

●アンと人々との出会いで生まれる「ドラマ」のパワー
 
 先ほど書きましたが、私はOP・EDで動物たちがたくさん描かれることや、第1話の冒頭でアンが木の上で遊ぶシーンを観て
「『こんにちはアン』は『ハイジ』で描かれたような「自然との暮らし」みたいなのがテーマなのかな」
 と思ってたわけです。
 で、実際はアンはとてもツラい境遇にあった少女のお話だった。
 
 そして物語を見通していくうちに、それでもめげずに日々を暮らすアンとさまざまな人々との出会い。
 そしてその人たちとアンとの人間関係から生まれる「ドラマ」こそ、『こんにちはアン』の面白さだと思いました
 
 『こんにちはアン』では、アンがストーリー上で何度か生活する場所が変わります。
 新しい土地に移るたびに、また新しいキャラクターが登場しアンと出会うのです。
 なので、全話を通すとかなり登場人物が多い物語です。
 
 この多くの登場人物たちは、一人一人にさまざまな過去や境遇を持った形でアンという少女と出会います。
 そしてアンがそんな人々と自身の特有の感性をもって接していくなかで、いくつものドラマが生まれるのです。
 
 作品の毎話に巧みな演出やキャラクターの描写が組まれていて、何度心を打たれたことか…! 
 見通していくうちに、アンという少女を軸にこれほど多くの深いドラマがあったことに驚きます。
 この作品はそんな「ドラマ・物語の"力"」に、特に目を見張らされた作品でした。
 
 …思えば、アンの可愛らしいキャラデザに一目惚れして観始めたわけで。
 観終わってみるとキャラデザのような「ビジュアル」という要素以上に、別のところにある「物語」という要素にハマっていましたね〜。
 
 

●それでも語りたい、ロリコン的視点からの『こんにちはアン
 
 そう、私は次第にこの作品の「ドラマ」に深く惹かれていったわけです…
 が、しかし!
 やっぱりキャラデザが可愛いのもまた、ゆるぎない事実!!
 
 はじめ書いたように、まずアンの可愛いらしさに惹かれました。
 
 そして、作品の中盤で登場するミルドレッド。
 

 
 彼女がこの作品の一番お気に入りの…まぁこの場合は言ってしまえば萌えた登場人物です、ええ!
 
 
 この娘が登場したときも、アンと同様「かっ、可愛いッ!」と思ったわけです。
 キャラデザでいうと、きれいな金髪と女の子らしい大きなリボン、それにそのリボンでアップになってすっきりとしている後ろ髪でしょうかw
 しかしキャラデザだけでなく、この娘と主人公アンとの対比が強い魅力なのです。
 
 
 ミルドレッドは、はじめて学校へ通うこととなったアンがはじめて出会う同年代の女の子の一人。
 
 アンと比べて背も高く、容姿端麗で恵まれた出自持つことから高飛車な態度をとりつつも、対立するアンが持っている明るさや感性に嫉妬し密かに憧れてもいて…
 「他より一つ上にいる自分」と「素直になりたい自分」とのはざまで悩むのです。
 そしてその姿が、大人になりきらない少女の魅力をかもしていて…ああ。
 
 
 そして物語の中で対立していたアンとミルドレッドは、ある出来事をきっかけに和解し、深い友情を結びます。
 ネタバレになりますが、その象徴的なシーンとして「森の中のお茶会」が描かれるのです。
 その情景がまたイイんですよ…!
 

 
 美しい文学の調べを愛するアンが見つけた、このロマンチックな情景。
 深く色づいて生い茂る森の木々と、そこで笑い合う二人の少女…なんと麗しいことか…!
 幻想的なまでの「少女」性がただようこの情景に、心をふるわせてウットリするばかりです。
 
 

 ということで、思いがけずハマりにハマった『こんにちはアン』について語ってみました。
 
 思えばこういう大河的な構成のアニメを観るのもかなり久々でしたが、平日毎日の次の放送が本当に連日楽しみで仕方なかったです。
 見終わった今、本当いいアニメだったぁ〜としみじみ…
 
 先に書いたように今は79年放送の『赤毛のアン』を観ているわけですが、これもまた毎日の楽しみです。
 これから描かれるアンの姿はもちろん、アニオタとしてTVシリーズのアニメの現場にいた頃の若き宮崎駿の画面づくりと、高畑勲のドラマづくりでますます楽しめそうです。